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こんにちは。スポーツコード営業チームの橘です。

先週のマオリ・オールブラックス戦、今思い出してもすばらしい試合でしたね。私たち営業チームの川口は、アジア大会代表チームの一員としてフィールド上で紹介されるという光栄に浴しましたが、私は気がついた時にはチケットが売り切れという有り様でした。うぬ。

 

しかしその時間を使って、行きたかったところを訪ねてきました。

それは東京の西部の、あるお寺。

 

話は私がスポーツコードを任された、2000年に遡ります。日本にスポーツコードを紹介してくれた人物が、元社会人ラグビー選手のニュージーランド人だったこともあり、営業はまずラグビー関係からスタートしました。しかし私はラグビー経験もなければ、会社もラグビー界にまったく伝手がない。そんな状況の中、手を差し延べてくださった人がいたのです。

 

当時、ラグビー用品会社の取締役を務めておられた松尾孝志さん。

ラグビー界では知らない人がいない存在だった松尾さん、私を次々にいろいろな大学、社会人、そして協会関係者のかたに紹介してくださり、スポーツコードについて話をする機会を与えてくれたのです。

 

夏には菅平で一緒の宿に泊まり、お酒を飲みながらラグビーのお話を聞かせてくださいました。そして朝になれば、愛犬の2頭のシェパード(1頭の名前は「法大」(ほうだい)でした)と車に乗り、大学、社会人チームの宿舎や練習グラウンドをまわりました。

ラグビー協会でのプレゼンテーションの機会を作ってくださったのも、今の代表監督エディ・ジョーンズさんとその頃お会いする機会を作ってくださったのも、すべて松尾さんでした。

 

そして2000年の秋、初めて大学のラグビー部が購入してくれたことを報告すると、「よかったね。こういうものは絶対必要になるからね。」そう笑ってくださいました。

何の見返りも求めない松尾さん。何もかもお世話になっているのはさすがに心苦しく、販売手数料や契約の提案も申し出ましたが、いつもはぐらかされるように笑っているだけでした。

 

その後、少しずつラグビー界でのユーザーが増え、2007年、ついに日本代表チームに採用。

その翌年、久しぶりに菅平でご一緒したいと思い電話したときの「今年は行かないんだよ。」という短いご返事が、お話をした最後でした。

 

松尾さんが平成20年10月30日にお亡くなりになっていたことを知ったのは、北海道バーバリアンズさんが2012年にセブンズ大会を主催し、その大会MVPが「松尾孝志賞」だという記事を読んだときでした。

 

7回忌には少し遅れましたが、松尾さんに今の報告をしてきました。隣にはペットの合同のお墓もあり、松尾さんのかわいがっていた「法大」もそこに眠っています。

 

松尾さん。今となってはもう直接言うことができませんので、ここに書いておきます。

 

今日の秩父宮、日本代表とマオリ代表、両チームのコーチボックスにスポーツコードがあります。

松尾さんがご紹介くださったすべてのチームが、その後、スポーツコードを購入してくださいました。

何より、ラグビー関係の人たちは、ラグビー未経験者の私たちを受け入れてくれる人だということを教えてくれました。

ほんとうに、ありがとうございました。これからもラグビーのために、いただいたものを少しずつ返していきます。

 

スポーツコード営業チーム 橘 肇

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